子供ってそんなに欲しいもんかな?「普通、欲しいでしょ…」その普通ってなに?
どーも、はちみかんです。
最近とある人に言われた言葉がずっと引っかかっているんです。
それはある日のたわいない会話のなかでのこと…
知人Aさんと「子供を産むために仕事を続けるか否か」の話をしていました。
🐝私「そんなに子供って欲しいもんかな?」
👩Aさん「普通、欲しいでしょ」
🐝私「今まで子供がめちゃくちゃ欲しい!ってなったことないな」
👩Aさん「ハハハっ」
そこから会話は別の方向へ流れていったのですが、
数日たった今でも、このAさんの発した「普通」という言葉がなんか引っかかるのです。
Aさんはおそらく、子供が欲しくないことに対して「普通ではない」と表現したいのではなく、
世間の一般論として女性が「子供が欲しい」と思うことが「普通」だということなのでしょうが…
「普通」という言葉が気になりすぎて辞書で調べました。
普通とは…
①ひろく一般に通ずること。
②どこにでも見受けるようなものであること。
対義語:特別
普通の反対は特別なんだね
そうなると子供を欲しいと思わない私は「普通」ではなく「特別」なのでしょうか?
でもこれまで特別扱いを受けた記憶はありませんし、
当の本人も「子供が欲しいと思わないこと」は特別なことではないと思っています。
今回【普通】という言葉と向き合ってみて気づいたことが一つあります。
それは…
多くの人は普通を求めながら特別でいたいという矛盾を抱えながら生きているということ。(私も含め…)
[st-kaiwa2]みんなが結婚して子供を産んでいるから、私も普通に結婚して子供を産みたい。
でもせっかくなら○○さんの家とは違って、うちは子供にはお金をかけて習い事とか通わせたい。
周りが普通に就活し始めているし、自分も就活しよう。
就職するなら〇〇とは違って、大手よりも自分の能力を理解してれる会社が良い。
決して、こういった価値観が悪いと言っているのではありません。
私も含め、人というのは何かにつけて誰かと比べ、周りを気にしてしまう生き物です。
ただ周りを気にしすぎて「普通を求めながら特別でいたい」と生き続けるというのはしんどいだろうなと思います。
そして世間一般の【普通】が、必ずしも自分に合うというわけはありません。
周りと比較しつつも、
- 自分はどうしたいのか?
- 自分はどう生きたいのか?
- 本当に自分の人生で必要なことなのか?
というところを考えることが大切です。
私は日ごろから
『多くの価値観を許容できる社会の中で、自分を許容できる自分でありたい。』
と思ってい生きています。(←カッコいいでしょ)
今回【普通】という言葉と向き合ってみて
「普通○○でしょ」
といわれても…
「そういう人もいるよね。」
くらいで生きていたらいいのかなと思いました。