ドッジボールって何が楽しいん?私がいかにドッジボールが嫌いかという話
ドッジボールって子供のころ何かとやらされてきたが、
私は一度も楽しいと思ったことはない。
ドッジボールというスポーツが、なぜ今も子供の遊びの1つとして取り入れられ、親しまれているのか私には理解ができない。
本気で心の底からドッジボールは嫌いだ。
今回はなぜ私がドッジボールを忌み嫌うのか、
ドッジボールの嫌いなところを解説していこうと思う。
ドッジボール愛好家およびドッジボール団体関係者の方は、気を悪くすると思うのでこの記事を読まないことをオススメします!
もくじ
ドッジボールとは
ドッジボール(dodgeball)は、子供の顔くらいの大きさのボール(多くはバレーボールなど)を使い、相手の頭部以外の身体にボールを当てるスポーツまたはゲーム。多くは2つのチームに分かれて大人数で行う。
ドッジボール – Wikipedia
ルールがわかりやすく、屋内・屋外どちらでもできる球技であるため、体育の授業にも取り入れられ、みんな必ずといっていいほどやったことのあるスポーツだと思う。
ドッジボールに関する私の中で一番古いイヤな記憶
私の中でドッジボールに関する一番古い記憶は保育園の4、5歳くらいのときのものだ。
クラスのみんなでドッジボールをするという時間があり、みんなでやっていた中、私の顔にボールが当たった。
私は泣いた。
泣いていた私に先生が
「泣かないの、〇〇くんは泣いていないでしょ」
と叱った。
その時、私よりも前に顔にボールが当たった子がいたのだが、その子は泣かなかったのだ。
でも私は怖かったし、痛かったし、びっくりしたし、泣きたかったから泣いた。
それなのに慰められることもなく、休憩させてもらえることもなく、怒られてドッジボールを続けさせられた記憶がある。
すごくすごくイヤな記憶。
ここから私の極度のドッジボール嫌いが始まった。
ドッジボールは地獄
ボールが怖くて、逃げることだけが異常にうまくなってしまった私は、だいたい最後まで内野に残ってしまう。
最後の一人、私にボールを当てれば相手チームの勝ち。
こうなると地獄…
当たって楽になってしまいたいが、当たるのは怖い、
かといってボールをキャッチできるほど運動神経もよくない。
制限時間までひたすら逃げるか、偶然こぼれたボールを味方が拾って内野に復活するのを待つか。
なんにせよ、ずっと地獄。
ほんとにほんとにドッジボールは嫌いだ。
チームが勝っても負けても、嬉しいとか悔しいとかいう感情はなく、ただただ恐怖と疲労感が残るだけ。
ドッジボールの嫌いなところ
ドッジボールの嫌いなところ、それは…
- ボールが当たると痛い
- ボールから逃げなければならない
- ボールが手元に来たら投げなければならない
- ボールが自分に向かってきて怖い
- 動ける範囲に制限がある
- 外野で暇だから砂に絵を描いていたら怒られる
- 勝ち負けにこだわるやつらに何かと怒られる
あげだすとキリがないくらいドッジボールは嫌いな要素がたくさんある。
マジで楽しいところが見つからない。
みんなは何が楽しくてドッジボールとかやっていたのだろうか。
小学校の頃なんて、休み時間にドッジボールをやっている人たちもいて、理解しがたい行動だと思っていた。
私が感じているドッジボールへの恐怖感がわからないという方へ
どれだけドッジボールが嫌いか、どれだけドッジボールが怖いか、いくら説明しても、ドッジボールの楽しさを押し付けてくる人がたまにいる。
そんな人にも私が味わっている恐怖感を伝える方法がある。
それはボールをゴキ〇リに例えるという方法だ。
私がドッジボールで味わっている恐怖がどのような恐怖感かというと、
ドッジボールで使われるのがボールではなく、ゴキ〇リだと想像してほしい。
相手チームがスゴイ速さでゴキ〇リを投げてくる。
ゴキ〇リに触るのはコワいし、触りたくないから逃げなければならない。
でも逃げられる範囲は限られている。
制限時間が来るまでひたすらゴキ〇リを投げ続けられ、逃げ続けなければならない。
どーだ、恐怖でしかないだろう。
これでもドッジボールを怖がる人に対してドッジボールを楽しいスポーツと言って強要できるか?
ドッジボールが他の球技と違うところ
ドッジボールは他の球技と違って、何かしらのアクションを必ず要求される。
ボールがコチラめがけて飛んできて、なおかつ受けるか当たるか逃げるかしなければならない。
参加することを強制させられるのだ。
サッカーやバスケとかはそれなりに走っていれば様になり、だいたい真ん中あたりでウロチョロしていたらボールに触らなくても参加している風になる。
たとえボールが来ても「下手くそで取れませんでした」みたいにすればボールに触らなくて済む。
野球やソフトボールもドッジボールのようにボールがコチラに向かってくるが、打たなければ良いだけの話だ。
さらに野球やソフトボールは人にボールをぶつけたら、ボールを当てた側がデッドボールとして罰せられる。
なのにドッジボールは、人にボールをぶつけることが正義であり、人に危害を加えることを良しとする、常軌を逸したスポーツなのだ。
学生同士の交流の場としてのドッジボールについて
義務教育での体育においてドッジボールをするというのは百歩譲って受け入れよう。
(本当は1万歩譲っても受け入れたくはない)
最低限の知識と教養を身に着けるために「算数が苦手な子が足し算引き算をする」「虫が苦手な子が虫の仕組みについて学ぶ」
それと同様に、最低限の体力をつけるためにドッジボールをする。
これは仕方のないことだとは思っている。
ただスポーツ大会や学生同士の交流の場として、ドッジボールをするということには賛成しがたい。
私の通っていた高校では運動会とは別にスポーツ大会というものがあり、みんなが参加できるものとして毎年ドッジボールをしていた。
ドッジボールはボール1つあればよく、他のスポーツと比べ広い場所も必要なく、室外でも室内でもでき、大勢で参加できることからスポーツ大会といった学生同士の交流の場で用いられやすい。
ドッジボールをして学生同士の交流をはかる。
意味不明すぎる。
ドッジボールでコミュニケーションを取れる人は逆にコミュ障なんじゃないかと疑う。
学校側もスポーツ大会を企画するのであれば、ドッジボール以外で皆が快く楽しめるものを、もう少し知恵を絞って考えてほしかった。
以上、ただの運動嫌いによるドッジボールへの恨みつらみを書いてみました。
ドッジボールのことだけで2000文字以上書けるなんて…
ドッジボールが好きな方やドッジボール団体関係者には非常に失礼な内容になっているなと思っています。
(。-人-。) ゴメンネ
この記事を書いているのは